私の夢

私が昔読んで感動したお話をみなさんにもお伝えしたいと思います。
何かの本に乗っていたのですが、切り抜いていて何の本だかわかりません。

当時読んで、自分も無人島でこうして生活できたらいいなと思ったものです。

沖縄の西表島近くに由布という島がある。私も何回か行っているし、西表島へ行った観光客の大半が行っている島だ。水牛車で渡る、亜熱帯植物が並ぶごく一般的な島。その島で、これまで何回渡っても果たせない出来事が一つあった。どうしても会いたかった人が二人いたのである。
由布島は低く平らな島。昭和40年代に台風の影響で、大被害を受け、数百人いた島民たちは、美原へ移り住み、無人となったはずだったが、どっこい一組のの夫婦が島を何とかしようと知恵と労力を打ち込みながら暮らしていたのだ。
かつての学校跡地に食べ物を提供する小さな店を構え、台湾にいた経験から、水牛を台湾から買い入れ、砂洲をその水牛で渡ったら、日本で唯一の名所となるのではと、熱帯植物を植えて島を飾り、南の動物(主に鳥)を買い入れて、島を夫婦で観光地に変えていったのである。その人は、その名も西表正治さん、明治41年生まれ88歳。奥さんハツさんは明治45年84歳。行ってみると、店は学校跡地から移って大きくなり、見違えるよう。

店で奥さんに会えた。丁度旦那さんが今、スーッと奥の方で食事をしているという。どうしてもお会いしたい旨をお話したら、日本一小さい車に私を乗せて、連れて行ってくれた。
「食事中すいません。島を回っている東京の本木…」「やあ、それはすごい。どうぞどうぞ…」ということで一緒に食べながらの裸談義となった。
「人間ひとつのことをやろうと決意すれば体も元気さ。今も働いて汗まみれだよ。88歳の祝いをやってくれたさ。子が10人。孫23人、ひ孫9人さ。みな対岸の三原に移ったが、どうせ同じ苦労ならとこの島に残って頑張った。特色を出すために水牛も鳥も木も熱帯色さ。知恵と実行だよ。張り切って生きれば、体はこの通りピンシャン。社員も増えて、そこの棟は寮だ。通勤者も増えたさ。今、由布島には全国から人が来る。西表に来た人はほとんど来るさ」
元気いっぱいの島の王様、隣で奥さんもニコニコ。
人間の在り方、島振興の在り方をたっぷりと考えさせられた。またそこまだ突っ込んであってもらった私の旅心も、自分で満足できるものになった。旅も、やり方を考え、行動力を惜しみなく出せば、西表さんの言う「知恵と実行」で究極の珠玉を得られると思う。
島は限定された地域で、自然も人間も決して同じものはない。一島一島その特色がはっきりしている場合が多い。日本の有人島実数436。私が足掛け40年で行ったのは、延べ867島。今の時点での有人島436島は、436色である。
島の自然派自然と人間の共生を地で行く人たち、その人生は自然を生きる長大な絵巻物である。島一つ一つが日本の礎、日本の宝、島人皆人間国宝である。自然と人間の共生の達人を訪ねるのが島旅であれば、旅行く人すべて謙虚で素直なはずで、そこに両者の笑みが浮かんでくる。それが真の島旅であると私は思っている。

いかがですか?
このころ無人島でキャンプをしたことがあり、島での生活にあこがれたりしていました。
自然の中で暮らすのが好きなので、そろそろそうした生活ができる場所を探してみたいと思う今日この頃です。

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